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妄動大国
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李下に冠を正さずという日本のことわざを安倍首相は知らないのでしょうか?(中東等では親指を立てることも侮辱です。)

 5月15日韓国中央日報は、安倍首相が2013年5月12日、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で、731の日の丸の自衛隊戦闘機で親指を立てはしゃいだ安倍首相を、日本軍の731部隊を連想させると批判しました。日本の官房長官は、(これに、なぜか即座に反応して)ただちに否定しましたが、否定すればするほど、逆に連想は広がっていくものです。J

果たして、これほどまでに、はしゃいだ首相の行為は単なる妄動なのでしょうか???・・。P

 かつて安倍政権が発足した2006年に、TBSのニュース番組「イブニング・ファイブ」が放映した旧日本軍731部隊に関する特集報道の冒頭で、当時の自民党の安倍官房長官の顔写真が約3秒間も放映されました。間違いにしては「不自然過ぎる」と専門家も首をひねる映像流出事件が日本ではありました。P

 永田町では「自民党総裁選前に、安倍氏のイメージダウンを狙った印象操作では」との見方も出ていましたが、結果は逆になりました。直後に第一次安倍内閣は誕生しました。当時TBSは報道は「全くの偶然」とコメントしていました。(一方で、その後、第二次安倍総裁が誕生した際は、安倍総裁が自民党に復帰した時期、TBSも含めマスコミが第一次安倍内閣時に持病で政権から退いた件を揶揄した報道があったことに対して右翼団体などはTBSなどを批判しました。また右翼団体は安倍批判をするなと抗議デモさえ盛んに行ってきました。)

 報道関係者と会食も相次いで行い、今年に入って、各テレビ局に出まくっている安倍首相ですが、4月6日に「安倍政権100日 好調の裏に極秘手帳 首相独占インタビュー」として、他局とは桁ちがいの長時間報道をTBSは実施して安倍政権を大宣伝しています。 また、TBSは航空自衛隊が舞台となる連続ドラマ「空飛ぶ広報室」を毎週午後9時から日曜劇場で4月14日から(全11回)放送中です。これは航空自衛隊の全面協力で撮影された自衛隊宣伝ドラマの側面を持っています。P

 中央日報論説委員の(김진 )キム・ジン氏は「安倍、丸太の復讐を忘れたか」として第2次世界大戦末期に実行されたドイツ・ドレスデン爆撃と日本の原爆投下について言及しています。いずれも「神の懲罰であり人間の復讐だった」と位置づけて、原爆は「日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐」とまでいいます。「アジア人」の中でも特に、旧日本軍の「731部隊」により犠牲となった「丸太」の復讐だったとまでいいます。こちらも、もう、妄想としかいえないような、こじつけた論調です。J

神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も苛酷な刑罰が大規模空襲だ。
歴史には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。... 6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。
これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。
広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。
特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。同じ復讐だったが結果は違う。
ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる。中央日報【時視各角】



キム氏の比喩は刺激を狙った論断ですが、歪曲しすぎです。広島、長崎にいた朝鮮民族(約七万人から九万人)の原爆の受難まで神の懲罰だと言うのでしょうか??。アメリカの無差別ホロコーストの被害者の大半は民衆で日本軍へのアジアの被害者の復讐ではありません(この種の詭弁はアメリカや東南アジアで、かつてからありましたが・・。)しかし、これは、妄想と言うより、無知としか言いようもありませんね。ドイツはその後、朝鮮半島と同様に東西に分裂して直ぐには生まれ変われませんでしたし、戦後日本はドイツにもまけない平和国家に生まれ変わっています。・・P

「731部隊」というのは韓国報道でも知っているでしょうが、「関東軍防疫給水部本部」が正式名称で、太平洋戦争中に中国・ハルビンを拠点に細菌戦の準備のため、生きたままの人間の感染実験や解剖さえ行ったという満州にあった日本の関東軍の部隊です。
 アジア人の復讐というのも違います。その生体実験に使われた人々は、日本の関東軍の部隊に捕らわれていた「丸太」と呼ばれた人々ですが。中国人や朝鮮人の他にアメリカ人もロシア人もおりアジア人だけではありません。丸太の犠牲者数は3,000人以上と言われますが、これはハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言に基づく推定値です。P

キム・ジン氏は「安倍首相は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の(昨今の)言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ」とまで言っています・・。J

それも言いすぎです・・。731部隊は韓国より、むしろ日本で有名な史実です。また数字には血も涙もありません。P
 
 しかし、日本にも確かに、妄想や妄動がありました。(石原慎太郎氏は、東北震災に対し 「これはやっぱり天罰だと思う」 「津波で我欲を洗い落とせ」と記者会見の場で公言したことがありました。)
 
妄想と言えば、日本では、安倍晋三の祖父であるA級戦犯容疑の岸信介氏が死刑を免れたのは、アメリカに731部隊のデータを売り渡したからではないかという俗説があります。P

 また、岸信介氏の出身地が旧長州藩の田布施(朝鮮系部落)であったことから、多くの長州藩系譜の政治家や明治天皇さえも、朝鮮系の田布施に共通の出自があり、だから、日本の指導者は、皆北朝鮮系の帰化人との俗説さえあります。実際、薩摩焼や萩焼、有田焼き等は秀吉の時代に日本に渡った朝鮮陶工職人の伝統芸術で、九州や山口には朝鮮民族の伝統を引き継ぐ村落が多く、薩摩(九州)、長州(山口)出身の明治官僚が、天皇を復権させ、皇室に朝鮮半島を取り戻そうと征韓論まで唱えたことは事実ですが、岸信介氏や明治天皇の話は、俗説だと思います。そもそも、源氏が高句麗系(北朝鮮系)で平家が百済系(南朝鮮系)との俗説もある日本民族ですから、これらは論じることさえ意味のない荒唐無稽な妄想だとも思います。

 しかし、岸信介氏は1973年来、文鮮明と交流し統一教会系の「世界言論人会議」の議長を務めたことは事実です。その縁もあってか、安倍氏は右翼やネトウヨだけでなく統一教会信者の支持率も異常に高いと言われています。(統一教会が主力構成員である国際勝共連合の日本での結成に岸信介氏は大きく関与し、その会員や信者は自民党国会議員、公設私設の秘書として送り込まれ1970年代から選挙応援を通じて自民党等に喰い込みました。安倍晋三の父の安倍晋太郎氏も勝共推進議員名簿に名を連ねました。)


 そして、安倍首相の選挙区の山口4区の日本でも有数の下関のコリアンタウンとのつながりも密接です。下関の在日と安倍首相のつながりは、父の晋太郎氏の秘書時代からのものでした。下関のリトル釜山の焼肉店アリランを安倍氏は昔から好んで訪れているそうです。

 それは、1925年まではオーストリア国籍であったヒトラーの屈折した心がドイツ民族至上主義を生み出したように、江戸時代までは、朝鮮半島起源が通説であった日本の屈折した心が大和民族至上主義を生み出したとも言うひとさえいますが、安倍首相の屈折したナショナリズム(日本を取り戻すという名の民族至上主義)の心境も同様のものであろうと分析するひともいます。しかし、その屈折を生み出して育てたのは、実は安倍首相のとりまきのヘイトスピーチを繰り返してきた一部の日本民衆の罪なのかもしれません。)


 
 戦前に社会主義的統制経済さえ唱えた岸信介氏は、満州国の実業部総務司長に1936年10月就任しました。翌年には産業部次長兼総務庁次長に昇進、当時の満州国の実質的な最高首脳者のひとりとなりました。岸信介氏が指導して推進した満州国の政策の中心は、産業開発5カ年計画の実行と日本産業(日産)の満州国誘致でした。

 岸信介氏は遠縁に当たる日産の総帥、鮎川義介に協力を求め、軍用機を使って満州国の新京と日本の立川飛行場の間を何度も往復もし、誘致に成功しました。しかし、岸信介氏の実施した満州国政策の裏の顔は「アヘン政策」でもあったといわれてます。

(日本では、アヘンといえば、清とイギリスとの間の1840年から2年間のアヘン戦争の方が有名です。イギリスはアメリカ独立戦争の戦費確保などのため、植民地のインドで栽培したアヘンを清に積極的に密輸出しましたが、清国がアヘンの密輸入を禁じたことが開戦の理由でした。アヘン戦争で勝利したイギリスは多額の賠償金を得て香港を割譲させ、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認めさせ、清は列強諸国と不平等条約を結ばされると同時に、アヘンの輸入を受け入れ、中国はアヘン大国とさせられたのです。

1856年から1860年にかけて清とイギリス・フランス連合軍との間で起こったアロー号戦争で敗北した清は欧米列強の半植民地となっていきました。明治維新以降、富国強兵政策の近代化を図った日本も欧米列強の侵略と同じ道を追っていきました。日露戦争、日清戦争、琉球、台湾、朝鮮半島の植民地化、満州国建国、アジアへの武力進出は、すべて植民地の獲得を目指した侵略戦争の側面を持っていました。大東亜共栄圏の名目とは裏腹に日本は中華民国の樹立も朝鮮半島の独立も認めませんでした。

 アへンは、モルヒネやヘロインの原料です。当時の「731部隊」が生体実験や解剖に麻薬を手に入れたかった可能性もありますが、当時は、直接の関連はなかったようです。
 満州国でアヘンに関わっていたのは、政府の事実上のトップである、総務長官星野直樹と総務次長の岸信介氏ら以外にも満鉄や満重(満州重工業)や関東軍自体も深く関わっていた事実が関係者の証言で、今日は明らかになっているそうです。
 
 岸信介氏自身は「満州ではアヘンを禁止し、生産もさせないし、吸飲もさせなかった」と言っていましたが、実際の満州国の政策状況はかけ離れていました。満州国のアヘン専売利益金は、岸信介氏が赴任した1936年度は全歳入の5.0%でしたが、日本に帰国する1939年度には5.6%にまで伸びていました。1938年のスイス・ジュネーブの国際連盟では、満州国に関する上海・ハルピンなどからの報告から、満州国からの阿片が28%も増加していることが報告されました。

当時の満州の関東軍は現地の犯罪組織と連携し里見機関を設立し上海でのアヘンやモルヒネを大量に密売して利益さえ得ました。また、関東軍は中国軍や民間から阿片を強奪して、中国戦線を遂行する兵器を購入したといわれます。アヘンなどの密売資金が岸信介氏を介して東條にわたり、それが英米開戦を遂行した東條内閣成立の工作に使われたと言われています。


 
 戦後に発見された文書によると、GHQ参謀第二部(G2)は、日本での秘密活動の資金を確保しようとし、731部隊関係者への工作も理由にして、活動資金の確保を図ろうとしていました。結局、関東軍731部隊関係者は、戦後にアメリカに研究資料を提供して戦犯を免れました。

 一方、A級戦犯訴追後に容疑を免れて1957年に日本の政権の最高の座にも就いた岸信介元首相も、アメリカ中央情報局(CIA)から秘密の資金提供を受け、1958年の総選挙を勝利させたことも有名でした。アメリカ情報機関との「相互依存関係」において、岸信介氏は731部隊と同様の関係にあるとの批判はされてきましたが、直接的な岸信介氏と731部隊のつながりを示すものは発見されていないそうで、あくまでそれは推測の俗説のようです。P

( 岸信介と同様に当時A級戦犯だったものの、絞首刑を逃れて釈放された右翼の大物・児玉氏の話も有名です。米国諜報部が、児玉を刑務所から出し、傍若無人に戦後の日本で活動していたいわゆるヤクザをコントロール下に置くよう彼に求めました。児玉氏は、このアメリカからの課題を見事に処理しました。又、米国諜報部に委任されたデリケートな仕事も遂行したと言われています。岸信介に提供さえた資金は、児玉氏が集めたヤクザ達のお金が中心で、当時、アメリカは、日本で社会主義者と共産主義者が一つにまとまる脅威に対抗して1955年に自由民主党が作られた際に資金提供したと言われています。田中角栄崩壊時のロッキード事件ではワイロに絡らむフィクサーとしても有名になりました。
1950年代終わりまでに、ヤクザと右翼の戦後の一時期の仕事は、左翼や労働組合活動を抑える諜報に協力し、それと引き換えに、飲食店主などからみかじめ料を受け取るチャンスも黙認され、与えられたと言われています。その際、児玉氏は、ヤクザが国の経済に、とりわけ大企業や中規模企業の利益には害を及ぼさないようにうまく行動しました。また、1980年代終わりから1990年代初めのバブルの地上げなどの投機活動も日本ヤクザは盛んに活動しました。しかし、それが日本の不動産市場破綻をもたらし、その後、長く続くデフレ不況の原因の一つになったと見るひともいます。「日本には、地元のヤクザの組長と知り合いでないような(保守)議員は一人もいない」とは、かつての小泉首相の言葉です。

ヤクザと言えば2006年に1999年の下関市長選で安倍氏が支持した候補者を支援した見返りとして、安倍氏の秘書が現金を工面したため、その後も金を要求したヤクザが安倍氏の秘書に断られたため、報復として放火事件を2000年に起こした事件で福岡地裁小倉支部は2006年に有罪判決を下しましたが、その後、事件を「長崎市長射殺事件で容疑者が所属していた暴力団と首相サイドの「関係」をとしてゴシップ記事にした週刊朝日の報道について、安倍氏は名誉毀損の裁判を起こして和解しています。ヤクザとの係わりはあくまで秘書とヤクザのトラブルであり、安倍氏と直接的な因縁があるものでもなく、長崎市射殺事件に直接関与するものでもなく、誤解によるもののようです。




しかし、安倍首相と731部隊との因縁の方は、2006年のTBS報道を介して、実際にもう強いものがあると思います。今回の自衛隊機の731の日の丸戦闘機に乗ってはしゃいだ首相の妄動行為と韓国報道で、この因縁がまた一段と強まりました。P

 ちなみに、従来731部隊の報道に関しては、中国や朝鮮やロシアの人々に対しての生体実験や中国市民への細菌テロ攻撃の批判ばかりでした。

(日本陸軍の軍医学校防疫研究室の日本軍医官の報告書には、「第2次世界大戦当時に731部隊は生体実験だけでなく、日中戦争で細菌武器を6回にわたり実際に作戦で使用し、2次感染者を含む感染者は2万5946人にのぼった」という記載がありました。
 また、731部隊は1940年から42年まで中国の吉林・浙江・江西省などでペスト菌に感染したノミを一般市民に散布して市民を殺傷する効果を実験したと言われます。実際、浙江省衢州市だけでもペスト菌で5万人以上の一般市民が犠牲になった記録があります。

また、米軍の細菌戦研究機関フォート・デトリックのノーバート・フェル博士らが行った731部隊関係者からの事情聴取によると、浙贛作戦(1942年)などで12回の細菌兵器の使用があったと言われます。

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 しかし、2006年のTBS報道は、従来型の731部隊による加害行為や中国民の被害の報道ではなく、終戦後に日本上陸を果たすであろうアメリカ軍に対して細菌兵器で攻撃・防衛する計画が731部隊にはあったという、新たな発見の視点であり、731部隊に光をあてた報道でした。そして、なぜか安倍晋三のポスターがたまたまその資料と共存していたようです。意図的でないにしても不思議です。

 また、首相になった後、安倍首相はTBSニュース11月16日放送のTBS『みのもんたの朝ズバ!』で、NHKキャスターの痴漢行為のテロップが安倍首相の笑顔に重なったことを(これも冗談のような妄想非難ですが)安倍首相はフェイスブックで取り上げています。個人ネットに共通することで安倍首相に限りませんが、安倍首相のフェイスブックは数々の露骨なメデイア批判や事実誤認も多いことで知られています。
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金融緩和圧力を務める安倍首相は、「禁じ手」とされる「日銀の国債引き受け」を求めた疑惑さえありましたが政治手法でも「禁じ手」を使用している疑惑があるのです。しかしその副作用は創造もできません。(福島原発事故の際に「菅直人が海水注入停止」とのデマをメルマガで流した時も非難されましたが、マスコミは安倍氏のフェイスブックや発言をソース源に偽風評に繋がることも考慮せずに、検証もせずに様々に流してしまうようです。)
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by zhenhong1 | 2013-05-20 20:57
国旗大国
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 中国環球網などは、5月8日に安倍晋三首相が7日の参議院予算委員会で、民主党の鈴木議員に安倍首相のフェイスブックに(在日韓国人・朝鮮人らに対する)憎悪表現の書き込みが多いとの指摘を受けたことに関して、安倍首相が「日本の国旗が焼かれても、その国の国旗を焼くべきではない」と述べたことを取り上げたそうです。P

この安倍首相の発言は、最近暴走し始めたとも言われる安倍首相の評価とはアベコベの近年まれに見る、安倍名言だとは、思いませんか?
「日本の国旗がある国で焼かれようとも、われわれはその国の国旗を焼くべきではない。それが私たちの誇りだ」と述べたのです。P

 しかし、環球網は、安倍首相が「在日韓国人、朝鮮人がインターネット上で、反日活動の意見を発表している」としか紹介していないのです。
 「それが私たちの誇りだ」の部分は省略されているのです。(それ以外はほぼ原文通りですが)。
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               祝日国旗掲揚の街中

「極めて残念だ」というのなら、載せるまえに中国のように事前検閲してなぜ削除しないのでしょうか?いくら、日本が自由でも、首相の個人ネットなら、日本の首相がそれらのヘイトスピーチ的主張を容認していると誤解もされますし、むしろ首相が同意しているとも看做されませんか?.J
「それが私たちの誇りだ」との「私たち」に安倍首相が含まれるのも変です。日本人民が道徳を誇るべきであって、首相は逆に自身のフェイスブックに載せているのですから、もう、日本人民の誇りさえ奪っていませんか?安倍首相が私たちと言う資格があるのはかなり変です。J

 今日の中国では1990年に旗・国徽罪が定められ、公共の場所で故意に中国国旗を破損、汚損、踏みつけた場合には、3年以下の懲役刑になります(適用範囲は中国国旗・国徽ですが)北京五輪の聖火リレー妨害で反フランス運動が発生した際には、インターネットなどで「フランス国旗を燃やそう」との呼びかけがありましたが「法律に外国国旗を燃やす行為を直接禁止する定めはなくとも、民法の栄誉権の侵害になる」との指摘もありました。

 日本では、日本人が外国の国旗を焼いたり切ったりしたら、刑法92条で2年以下の懲役または20万円以下の罰金となります。P
(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

 しかし、日の丸は、日本人でもあっても外国人であっても、仮に傷つけても刑罰対象には、ならないのです。外国旗だけでなく自国の国旗(日章旗、日の丸)を傷つけたり汚したりした場合も、罪に問われるよう「国旗損壊罪」を新たに盛り込んだ刑法改正案も何度か検討されてきました。しかし、現行法では外国の国旗に対する損壊罪は明記されていますが、自国の日の丸に関する条文を日本は、もたないのです。これを靖国派と呼ばれる人々は自虐とも感じるそうです。しかし、その自虐と感じる心こそがかつて戦争を起こしたのではないでしょうか?

 なぜなら、モラルに関することは、法で取り締まることは不遜なほどに、きわめて道徳の問題であるからです。機微に触れる問題は、基本的に最重視され保護されるべきです。それは、君が代でも同様です。国民の心の問題を法や決まりで取り締まろうとする邪心が戦争を起こすのです。人権重視国家においては、機微に触れる問題や内心は、触れないことが重要で、それは戦後の日本の誇りでもあったのです。

 自虐でも不平等でもありません。もし「それが私たちの誇りだ」と安倍首相が、場当たり的発言でなく、今日の日本の国旗の扱いの精神を本気で認識した発言であったのなら、それは画期的な認識です。やはり、これは、すばらしい名言だと思いませんか? P




 日の丸を愛する日本こそ国旗大国と言われるべきでしょう。現存最古の日章旗としては、山梨県甲州市(旧塩山市)の裂石山雲峰寺所蔵のものが知られています。1582年のものと言われますが現在の日章旗とは少し違います。豊臣秀吉の朝鮮出兵では(文禄の役1592年・慶長の役1597年)「日の丸」が日本船に用いられたとも言われています。
 しかし、絵画で確認できるので確かな説ですが、もっと古くから琉球王国は、中国への進貢船に現在の日章旗を用いていました。琉球国は14世紀から中国への進貢船を実施していましたから、現在の日章旗の最古は琉球国の旗であったと見る人もいます。しかし、琉球国は、明の属国として建国された歴史があるため、日章旗は中国(明)による制定と見る人もいます。明の属国として振舞った室町時代にすでに日章旗は使われたともされています。


 しかし、古代の日本では白地に赤丸の現在の日章旗ではなかったとは言われますが、太陽を象った旗の原型を用いるようになったのは、すでに大化の改新時代で、文献としては、797年の『続日本紀』の中にある文武天皇が701年の朝賀の儀に関する記述において、正月元旦に儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとあり、これが日の丸の原型で最も古いものといわれています。当時は、日章旗ではなかったとも見られています。しかし、701年頃、国号が倭国から日本へ改められた時代に、すでに日の丸の原型は誕生していたとされる歴史を日本は持っていたのです。

 正式な国旗制定では、世界最古の国旗といわれるのは13世紀の始め、ローマ教皇が十字軍に授けた旗を基につくられた「ダンネブロク」(デンマークの力・赤い布の意味)のデンマークの国旗とされますが)日の丸の原型はこれより遥かに古く、継承された国家シンボルとしては世界最古の歴史を持つともいえます。

 大韓民国の国旗の元の太極旗も李氏朝鮮の高宗時代1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布された古い歴史を持ちますが、その契機となった前年の壬午事変は李氏朝鮮近代化のきっかけではありましたが、日本領事に被害を齎しています。
日本は江戸幕府が1859年に、幟から旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出したのも始まりとされていますが、正式には明治の開国後に1870年1月27日太政官布告第57号で「御國旗」(=商船旗・軍艦旗)とされて、正式に日章旗は日本の国旗として扱われるようになりました。
 


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 中国社会科学院が昨年末に発表した「2013年中国社会情勢の分析と予測」と題とする社会青書では、近年、増加しつづける市民の抗議事件については、その様態は多様かつ複雑であると分析していました。その主要な原因は土地の強制収用、環境汚染、労使紛争の三点を挙げられています。そのうち、土地の強制収用がほぼ半数、環境汚染と労使紛争が3割、その他の社会的対立による事件も2割を占めていると報告しています。

 中国ネットユーザーには、各種の不満が渦巻いているようです。そして、話題になると次々と削除もされるようです。

 3月の報道では、大気汚染について当局幹部に質問した、海外メディアの女性記者もネットで話題になりました。「大気汚染の話になると、どの代表も自身の管轄ではないと言います」と切り出した記者は「すべての人は呼吸するのです。誰も汚染から免れることができません。しかし、個人にしても企業にしても今までのやり方に固守していて、環境の改善は見込まれるのでしょうか」「ここまで汚染され、寿命が縮まり、苦痛の中で生きているのであれば、GDPの増加は意味があるものでしょぅか?お金があっても何の役に立つのでしょうか」と訴え、最後に、「ぜひ各自のポジションで何らかの行動を起こしてほしい」と代表らに呼びかけ、「皆自分に責任がないと言いますが、私は今回の取材活動を車ではなく地下鉄で移動している」と締めくくったそうです。彼女の勇気の質疑には、どの幹部も応答できなかったと言われます。



アメリカ政府の「the People」も話題になりました。(アメリカ政府は、ホワイトハウスのオンライン請願プラットフォームで30日以内に10万人の電子署名を集めれば、米国政府は請願の対応にあたると「the People」というサイトで約束しています。)

中国では、「越境陳情」「越境請願」がブームにさえなっているようです。「We the People」を知った中国の若者は、人権大国アメリカに正義を期待しているようです。中国ネットでは、ホワイトハウスを国家陳情局、オバマ氏を国家陳情局主任だとして、新浪微博ではオバマ「奥巴馬主任」のアカウントも開設されたと言われます。

 請願の内容は、ふざけたものもありますが、オバマ政権にの干渉期待しているものもあります。5月に発起されたある請願は、わずか1週間ですでに14万人以上の署名が集まったそうです。それは、19年前に起きた清華大の朱令さん殺害事件です(清華大の学生だった朱令さんは、在学中に重度のタリウム中毒で殺害されましたが、その後未解決事件にされました。) 朱令さんのルームメイトの孫維氏がいったんは被疑者として警察に挙げらましたが、証拠不十分で釈放されてしまいました。しかし、孫維氏には、中国官僚高官の祖父や父親、叔父がいました。祖父は江沢民元国家主席とも親密でした。釈放には、官僚の影響があったのではないかとの疑惑が燻っていたのです。しかも、殺人事件で証拠不十分で釈放された太子党子息の孫維氏は、現在アメリカで悠々自適に暮らしていたのです。孫維さんに対する調査と国外追放を要請した請願がアメリカの「We the People」に海を越えて中国のネットユーザーから集中したのです。

「富二代」の愚行は、様々に従来から問題視されています。昨年11月にアイオワ州で起きた。アメリカへの中国留学生の徐義淳被告はパーティに参加した後、運転して帰宅中、標識を無視をして無謀なUターンを行ない事故を起こしました。ぶつかった運転手の女性は死亡し、同乗者3人を負傷させま、自分の運転する車に乗っていた女性4人のうち2人も負傷させました。しかし、車は事故4日前に現金で購入した黒のベンツでアメリカ国内で運転に必要な国際運転免許証も取得していませんでした。事故の日に初めてアメリカで運転したといいます。3月1日、渡米した徐の母親は巨額な保釈金全額を支払いました。彼の父親は中国全土で33の支社を持つ大手税理会計企業「中税网」の最高責任者・徐兆宏氏と言われます。200万ドル(2億円)の保釈金と事件に対してネットには、批判があふれました。現在、徐被告は学生ビザも更新し、在籍中の同州サウス・パゲット・サウンド・コミュニティ大学に戻っているそうです。


北京市で5月8日、安徽省出身の農民工数千人が抗議集会を開き、デモ行進を遂行したそうです。数日前に謎の死を遂げた安徽省出身の女性について、警察当局の捜査姿勢に不満が持たれ究明を求めるデモだったそうです。
5月3日袁利亜さんは勤務先のショッピングセンター「京温商城」のビルから転落し死亡しています。22歳の安徽省の出身で数年前から北京に出稼ぎにきていたそうです。父親はガンを患い働けず。母親は地元農民で貧しく小学生の弟もいるそうです。彼女は北京で仕事を掛け持ちし、早朝から働く日々でした。転落死について、北京市警察当局は自殺だと断定したそうですが、勤務先の男性保安員6人に密室に監禁され集団レイプされたとのうわさで、男性保安員のうち、2人が逃亡し、1人は自首した事件といます。遺族がショッピングセンターに設置された監視カメラの映像の開示を要求しても警察は拒んでいるそうです。大規模抗議は過熱化し、当局は大量の武装警官の他ヘリコプターまで出動させたといます。もうネットは削除され、メディアも一切報道していないといいます。


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米原子力空母「ニミッツ」が5月11日に韓国南部・釜山に入港しました。13日までの寄港後、日本海で韓国海軍との合同訓練に参加するのだそうです。
在韓米軍司令部によると、ニミッツには約6千員人が乗船し、FA18スーパーホーネット戦闘攻撃機など約65機を搭載しており、ニミッツと共に誘導ミサイル搭載の巡洋艦と駆逐艦も釜山に入ったそうです。
北朝鮮の朝鮮中央通信によると、祖国平和統一委員会は報道文を発表し、「朝鮮半島での核戦争の危機をさらに高めている」と強く反発。「(合同訓練で北朝鮮に)刃向かうのなら、ニミッツを含むすべてを海に葬る」と、威嚇しているそうです。
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by zhenhong1 | 2013-05-12 16:10
お茶大国
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中国は、世界一のお茶大国です。J


お茶の栽培は、温暖な気温と清らかな水と空気が必要と言われます。
清らかな水と空気のある日本も相当な、お茶大国ですP。(2000代前半までは、紅茶を中心にインドが生産も消費も世界一でしたが、近年中国が世界一になりました。中国茶は緑茶が中心です。)

静岡茶畑
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(お茶に含まれる、カテキンは、インフルエンザウイルスの感染防止にも有効と言われています。P
騒がれている、鳥インフルエンザ予防にもなると思いますが?・・P)



しかし、お茶の一人あたりの消費量では、石油大国のアラブ首長国連邦がトップでモロッコ、アイルランド、モールタニア、トルコ、イギリスの順です(2009年)。

一人あたりの消費上位国は中東諸国やヨーロッパで多くが占められています。お茶好きの日本国民は世界17位で、お茶の生産量と消費量で世界トップの中国も国民一人あたりの消費量では世界25位でしかありません。(2009年)。やはり、お茶は高級品なのでしょうか。
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(なぜか、朝鮮半島では、お茶(カテキン茶類)は、あまり飲まれません。J)



 お茶の発祥地は中国雲南省と言われており、茶葉からの製法の違いにより発酵茶、半発酵茶と不発酵茶の大きく3つに分けられます。
 
 発酵茶としては紅茶が有名です。半発酵茶はウーロン茶やプーアル茶などがあげられます。緑茶は不発酵茶で、日本の玉露、煎茶、抹茶、番茶もこれにあたります。

 また、紅茶の発祥の地でもある中国では、中国紅茶の生産も盛んで、紅茶生産量で見ると中国はインドに次いで世界第2位です。しかし、中国国内の紅茶の消費量は、本当にごくわずかで、中国紅茶の生産量の約90%は海外に輸出されて行きます。インド人と違い、中国人は紅茶より緑茶好きです。

 中国紅茶で、安徽省で生産される「キーモン(祁門)茶」は、世界三大紅茶のひとつにも数えられ、ヨーロッパでは、従来から最高級品として珍重されてきました。祁門茶の中国生産量は湖南省が最大で、以下順に、広東、雲南、江西、安徽、広西、貴州、海南島の生産があげられます。


緑茶と紅茶を含めたお茶全体の評価では、中国は、生産も消費も、その量では、確かに世界一のお茶大国です。P
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紅茶は茶葉を乾燥させ、揉みこむことによって酸化発酵を行わせたお茶です。
ヨーロッパで最も紅茶を飲むのはイギリス人で、朝昼晩の食事だけでなく、起床時、午前午後の休憩にもお茶を楽しむとも言われます。

 
 ヨーロッパにお茶がもたらされたのは17世紀で、海上貿易で世界に雄飛していたオランダによって、中国から伝えられました。当初は、緑茶で、中国のウーロン茶などの発酵茶がヨーロッパで人気を呼び、製造業者が発酵を進めているうちに、強く発酵した紅茶が普及したといわれています。

 1662年にチャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが、中国茶と砂糖を持参し、イギリス宮廷に喫茶の習慣をもたらしたと言われています。
イギリスは、19世紀に入ってから、植民地のインドやスリランカ(セイロン)でお茶の大量栽培を普及させ安価な紅茶はヨーロパの大衆に広まりました。


 紅茶の文化は18世紀にアイルランドにも伝わり、国民一人当たりの消費量では、アイルランドがイギリスより多くなりました。


 中国では、cháとも茗míngとも呼ばれ、古代中国の伝説では、神農の時代から茶が飲まれてきたと言われます。神農は、5000年前に中国農業を始めたといわれる人で、「神農嘗百草,日遇七十二毒,得茶而解」(「神農は100種類の草を食べ72種の毒にも冒されたが、茶葉で救われた」)と言われています。

 漢の時代に書かれた詩は、茶を表す漢字が使用され、お茶に関する最古の文献は漢代にあります。紀元前2世紀(前漢)の書物から、中国ではお茶が登場しています。

 隋代には、茶を火にかけ煮出す方法や、抹茶、煎茶などの飲み方が考案されたと言われます。
宋代に入って、茶の新しい製法や種類が増え、闘茶(茶の味を飲み分けて勝敗を競う娯楽)も誕生します。

 そして、中国茶は海外に輸出されるようになります。宋代の書物には茉莉倍煎茶の記述もあり、宋代には香料茶と茉莉花茶(ジャスミン茶)も登場したと言われます。

 日本の沖縄県でさんぴん茶として飲まれているものは、ジャスミン茶を指す中国語(香片茶 シャンピェンツァー)から転じたものです。さんぴん茶は、今日の沖縄県において、よく飲まれているお茶です。

 そして、宋代には、日本にもお茶文化が中国から伝来しています。


 遣唐使が往来していた奈良・平安時代、805年、日本から中国に留学した、最澄や空海や永忠らの留学僧侶は日本に帰国する際、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、日本のお茶の始まりとされています。平安初期『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都の永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉ったことが記載されています。

 平安貴族は、唐渡りの絹織物に身を包み、唐渡りの香料を焚き染めて、中国の異国文化に酔いしれてもいたともいわれます。生け花も、始まりは「立て花」という、中国渡りの祭りである七夕の夜に、大きな中国渡りの華麗な花瓶にたくさんの花を生けたところから生まれた文化で、お茶会も、様々なお茶を飲み比べて、その味と香りから、産地を言い当てる「闘茶」という中国(南宋)の風習が起源で、闘茶時には、中国風の建物で中国渡りの書画骨董を並べ、中国服を着て平安貴族は楽しんだと言われます。しかし日常生活にまで普及はしませんでした。飛鳥・奈良時代以後、中国渡りの「唐物」崇拝の傾向はありましたが、日本の平安貴族階級には、中国文化は異国文化でもあったようです。
 
 朝鮮半島から渡来した百済人が多かったと言われる朝鮮平安貴族の平安時代(朝鮮半島の系譜がある桓武天皇が平安京(京都)に都を移してからの三百年)は、お茶に関する書物及び記録は、日本の書物に全く出てこなくなりました。やはり、朝鮮半島では、お茶が普及しなかったことと関係があるのでしょうか、平安時代には、お茶文化はあまり普及しませんでした。

 鎌倉初期1191年に栄西禅師が中国(宋)から帰国する際、日本にお茶を持ち帰えった際に、お茶の効用からお茶の製法などについて詳しく著した『喫茶養生記』(1214年)を書きました。これが、日本初の本格的なお茶の書といわれています。

鎌倉時代の末期には、「闘茶」の風習が、武士階級に浸透し、茶寄合いなども盛んになり、茶歌舞伎などの茶の湯も広まり、日本のお茶文化は、武士階級を中心に広まり始めたと言われます。

そして、15世紀後半から16世紀後半には、村田珠光、武野紹鴎、千利休らによって日本のお茶の礼式がつくられ「侘茶」として大成し、仏教とあわせて武士階級に流行し、その後、日本お茶文化は日本独自の文化として普及して行きました。
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(朝鮮半島では、『三国史記』の「新羅本紀」でもお茶の栽培が記載されていました(828年)。しかし、日本の平安時代と同様にお茶は普及せず、お茶文化が普及したのは、仏教が国の宗教とされた高麗時代で、日本と同様に仏教の影響でした。高麗時代では、朝鮮半島でも、お茶の喫茶文化が盛んになりました。「高麗図經」(宋の使者が1123年に高麗を訪問した報告書)によると、高麗ではお客にお茶を対面で煎ずるのではなく他の所で煎じて茶器に入れてあげ、客は主人がお茶を進められたら飲むのが礼儀であったとされています。高麗時代には茶詩も多く、仏教僧や文人の間にはお茶はプレゼントとされ、茶をもらった人はその返しで茶詩を回答する風俗が流行しました。

 また、李朝初期の朝鮮半島で焼かれた井戸茶碗は、室町時代末期頃から日本に渡っており、高麗茶碗とされて16世紀頃の日本では大変珍重されていました。また、日本で茶道を普及した茶人の利休は朝鮮半島由来で秀吉にそむき自害させられたとする俗説もあり、秀吉の朝鮮出兵が契機で日本に渡った朝鮮半島の陶工らは、日本で茶道の高級茶器を作ったとも言われます。実際、薩摩焼や萩焼、有田焼き等は秀吉の時代に日本に渡った朝鮮陶工職人の伝統芸術です。(また、九州や山口には朝鮮民族の伝統を引き継ぐ村落が多く、薩摩(九州)、長州(山口)が、明治天皇を復権させたことや征韓論に関連するとの俗説さえあります。)

しかし、李氏朝鮮はその後、儒教を国教とし、お茶文化からお酒文化への切り替えが推奨され、仏教排除(抑佛崇儒)した影響もあり、仏教に付随して伝来した喫茶文化も寺院や王室、両班などの一部を除き消滅してしまい、朝鮮半島では、お茶文化は完全衰退しました。李朝中期の学者の丁若鏞は茶から酒への変化に抵抗を感じ、別名を「茶山」と称して、「茶を楽しんでいる民は栄えて、酒を楽しんでいる民は滅びる(飲茶興飲酒亡)」と嘆いたそうです。

現代の韓国茶には、オクスス(コーン)茶(トウモロコシ焙煎)、ユルム茶 (はと麦焙煎)、ポリ(麦)茶 (麦茶)、インサム(人参)茶、オミジャ(五味子)茶( チョウセンゴミシ実を煎じたもの)クッカ(菊花)茶(キクの花を煎じ茶)、テチュ茶( ナツメの実と砂糖、蜂蜜を煮込んだもの)様々なものがありますが、これらは茶とは名ばかりで、これらには、何れも、いわゆる「お茶=カテキン茶)は使用されていません。)砂糖を入れる紅茶は別にして苦い緑茶は現代でも不人気です。




 中国・明代の書物には煎茶の製茶方法の具体的な記述があり、大量に煎茶の散葉緑茶が製造されていたとされます。

 明太祖朱元璋が団餅茶(茶葉を圧縮して固め運搬に便利なように固形化したもの)を廃止する勅令を出して以降、蒸青、炒青の散葉茶(現在の乾燥茶葉のお茶の形態)が普及したと言われます。

 日本で今日まで残る抹茶は明時代に中国では廃れてしまいましたが、明代後期には、黄茶、黒茶、白茶、烏龍茶の発酵茶が出現しています。

 発酵の種類に応じて数百種類のお茶が中国には存在しています。(また、チベット族のバター茶、ウイグル族のミルクティー等、少数民族のお茶も多種多様に中国にはあります。)


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福建省茶畑
 
 中国・清代では、「乾隆帝」皇帝が大のお茶好きと言われ、乾隆帝は、茶器や水についての研究も非常に熱心でした。当時の中国皇帝の中では長寿でお茶効果もあってか、88 歳まで長寿をまっとうしたと言われます。

 茶人の乾隆帝は 「君不可一日無茶」と言ったお茶好きで、水をもとめて中国全国を視察して、江南地方の視察の際に、茶館で大銅壷(大きな茶壷)を持った店員が数十センチ離れた高さからお茶をこぼさずに茶杯に入れて出すパフ ォーマンスに大変感動したと言います。

 そして、これが、太極茶道(太極拳と茶道を組み合わせた、太極拳のような軽やかな身のこなしで、1mもの長い注ぎ口のついた急須で、茶碗にお茶を注ぐ「曲芸」)として1765年頃に始まったとも言われます。

 しかし、近代中国では、お茶文化は贅沢の象徴として文化大革命で糾弾され茶葉の栽培さえ制限された結果、古来からの本格的な中国茶の伝統文化は中国本土では廃れ台湾や香港が主流となりました。最近では従来低中級品の健康茶でしられるプーアル茶(普洱茶)が、中国では高級茶化する現象も起こっています。

また、日本流のお手前のような儀式は中国では従来からはなく、目の前でお茶を煎じて入れる現代の中国茶芸は台湾で大手茶問屋の社員だったが1970年代後半ごろ日本の茶道を参考に創始したと言われています。


 四川料理店に行きました。P(日本でも太極茶道を見せる店は人気です。)

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by zhenhong1 | 2013-05-03 20:32
  

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