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中秋大国
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今年の旧暦8月15日は2013年09月19日となります。中国(19日~21日)や韓国(18日~20日)では中秋節の休日で、韓国では秋夕(한가위)と言われます。中国や台湾や韓国やベトナムでは、秋節に月を愛でる慣習が古代からあります。

日本では、お月見のおだんごを食べる日中秋の名月の日(十五夜、お月見の日)で、竹取物語のかぐや姫が月に帰った日でもあります。P

日本最古といわれる物語『竹取物語』は『かぐや姫の物語』とも呼ばれます。

かぐや姫の物語は7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれたとされ日本に現存する最古の民話とも言われます。また日本最古の歌集『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、平安時代中期の日本最古の長編物語(10世紀)『源氏物語』の中でも「物語の出ではじめなる竹取の翁」で登場しています。書物としては『今昔物語集』(12世紀の平安時代末期に成立したと見られる説話集:インド・中国・日本の三国の約1000余りの説話を収録)に編纂された話が最古とされています。原本の漢文は現存せず、写本で16世紀の室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古ともいわれています。


昔むかし、竹を取って暮らす竹取の翁という老人がいました。
金色に輝く竹の中に座っていた手のひら程の小さい女の赤子を見つけた老人は家に連れて帰って夫婦で育てることにしました。
彼女は大切に育てられ、あっと言う間に輝くような美しい娘に成長し、「なよ竹のかぐや姫」と名づけられました。

美女・かぐや姫の噂は世間に広まり求婚者がひっきりなしにやってきました。
しかし、かぐや姫は求婚者たちに様々な無理難題の試練と不幸を与えました。5人の貴公子に対し、様々な珍宝を入手することを要求しました。

結局、誰も要求に応えることはできませんでした。身体を損ない、命を失う者もいました。
やがてかぐや姫のうわさは天皇(帝)の耳にも届き、天皇もかぐや姫に求婚をはじめました。
養父の協力をとりつけ、不意をついて天皇は対面し宮中へ連れ帰ろうとするのですが、かぐや姫は姿を消して光の塊になってしまいます。

天皇の熱心な求婚にふれるうちにかぐや姫も好意を抱き惹かれ合いますが、彼女はまもなく月の天界へ帰らねばならないことを告げます。

3年後、月の天上から迎えがやって来ます、かぐや姫は月の都で罪を犯し、その罰として地上に落とされていたことも判明します。天皇は軍を率いて月の国からの使者を迎え撃とうとしますが、月の使者の放つ光に包まれると天皇の軍は戦意を失ってしまいます。

かぐや姫は天皇への手紙と不老長寿の薬を残し天の羽衣をまとって月の国へと帰っていきます。かぐや姫の去ったその後、天皇は置き土産の不老長寿の薬と手紙を燃やしてしまいます。「もはや、かぐや姫に会うことが出来ないならば、長く生きても仕方がない」と考えたそうです。かぐや姫の育ての老父母は、悲しみが大きく病の床についてしまいます。
竹取物語のむすびの章「ふじの山」では、天皇が置き土産の不老長寿の薬と手紙を燃すように大臣に命じたのは、天に一番近い山であり駿河にある山の頂きでこれを燃します。この時多くの兵士が登ったことからこの山は(兵士が富んだ)富士の山といわれ、その煙が今ものぼっていると語られます。これは、富士山の噴火が八世紀(781年)にあったことに由来するとも言われています。(富士山は不二や不死とも呼ばれたようです)



(古代中国でも古代日本でも、月はしばしば不老不死のイメージと重ねられて伝承されていました。)
江戸時代の国文学者・加納諸平は『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄った5人の悲劇の貴公子は、『公卿補任』の文武天皇の公卿であろうと指摘し、石作皇子は、多治比島、車持皇子は、藤原不比等とされています。5人の男は朝廷で、最高の官職にあった左大臣、右大臣、大納言で実名実在の三人は、壬申の乱(672年)で活躍したと言われています。時は、663年朝鮮半島の白村江の敗北で倭国軍が唐・新羅軍に追われ、本州の倭国が国名を変えて正式に701年「日本国」が誕生した時代でした。

また、作者は紀貫之や遣唐使で唐の長安へ行った弘法大師・空海との説もあります。確かに(極楽浄土やあの世のような)月の世界に帰る話は仏教的でもあります。

近年、伊藤清司氏の研究では、日本の「竹取物語」と中国のカム地方のアバ・チベット族に伝播されている「斑竹姑娘」に一部類似点があることから、中国由来説もありますが、『竹取物語』にそっくりな民話は、台湾にもあり、むしろ中国の話の方が日本の「竹取物語」から由来したものであろうと言われています。(求婚者の男達をあきらめさせる点が共通する素朴な民話で、内容は全く違い、主人公の少女は最後は無事に結婚して母ともども幸福な生活を送る点も決定的に違います。
また、紀元前の中国の司馬遷の史書には始皇帝の命を受け不老不死の霊薬を求めて3,000人の青年や技術者を従え東方に船出した人々が蓬莱の地で王となり戻らなかったとの記述があり蓬莱とは後の日本を意味しました。竹取物語には「東の海に蓬莱という山」との記載があり、その徐福の船の伝説話が当時、影響した可能性はあるかもしれません。)

また、梅山秀幸氏の研究では文武天皇の時代、天皇に仕える宮中の采女の結婚への取り締まりが厳しくなったという史実が当時あることから、かぐや姫のモデルは結婚が発覚して自決または刑死に追い込まれた采女の話であるとの説が唱えられています。

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また、柳田国男氏によると、そもそも「竹取」稼業は、当時は普通の百姓以下の、大宝令にいう「山川藪沢之利」により生計をたてていた田畑の耕作さえできなかった賤民であったとしています。
そのような時代を踏まえれば「竹取物語」は、賤民の家に育った娘が、当時の最高位の皇室の貴族達の求婚や天皇の召命までも拒否する話で、さんざん高貴な男達を振り回すという風刺でもあり、明治以降の日本であれば、不敬罪にも問われかねないような皇室・天皇批判の大衆民話であるとも言えます。

藤原氏の摂関政治の完成時期であったとも、その後幕府により天皇が権力を失う時代の先駆けであったともいわれ、大陸や朝鮮半島からの渡来人がその多くを占めた貴族達にとっても、貴族や天皇の愛から逃れた、民衆の娘の話など、本来は屈辱的な話でもあります。それは、当時、日本民衆からの信頼を失った、貴族達にとっては、民衆に対する精神的な敗北の話でもあったと言う人もいます。

一方、孫崎紀子氏の研究では、かぐや姫は日本に流れ着いたイランの王女が主人公だったという説が新たに発表されています。これは「舎衞女(ペルシャの王妃)とダラ女(王娘)が、朝鮮半島の百済の善光王他、日本の天武天皇に拝謁した。」とした日本書記の史実に由来するものです。(中国揚子江河口のペルシャ人寄留地から出発した使節団は奄美に漂着したとも、20歳を前に急死したダラ女は金髪、色白のアーリアン美女で、死後は、ゾロアスター教の伝統により鳥葬にされたとも言われます。)



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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かぐや姫の物語 いのちの記憶

竹取物語のむすびの章では、不老長寿の薬が出てきますが・・。

命の概念は、仏教では、時間を実体的に静止したものと捉えず、この世も不変なものとは見ないで全ては無常であり時間の流れに繋がるものと捉えます。変化し移ろいでゆく現象や存在も、過去・現在・未来の3つの時間的な現象区分で隔てられるに過ぎずそれは一体のものと捉えます。生命もまた同じで前世・現世・来世の三世の区分で捉えられます。そしてその三世は因果の関係で繋がっていると解釈されます。

実は今日の科学の到達点での生命の概念も、仏教の概念と共通する点が多々あります。(もちろん時代の制約や観念論たる宗教的制約は脇においた議論です。)
生命は、不可逆的な時間の消費を必須とします。時間を消費し、可能性をもった未来を不可逆的な過去にしていく有機物質の自己更新の運動形態こそが生命であるとも言われます。他の生命細胞の時間の流れを得なければ自己増殖できないウイルスは蛋白質やDNAなどの遺伝子を有しますが生命ではなくむしろ物質の範疇であるとされます。

そして、生命は過去から進化し、人間が思考するという偉大な精神活動を有し未来を創造するようになった現在に至るまで命に記憶されたDNAのバトンに導かれた因果の結果であることも、科学で判明しています。生命体を過去のDNAの連続性で捉えれば、あらゆる生命は過去の先人の個々の死を乗り越えて現在に至るまで全て連続していると解釈できます。

逆説的には、全ての生命の過去(先祖)は共通しており、民族や国を超えるだけでなく、地球における森羅万象の自然の命と繋がっているともいえます。皆、通常の生命の体細胞には再生に「寿命」があります。(クローン再生においてはテロメア短縮が見られ個体本来の老化に縛られますが、精子や卵子の生殖細胞は、テロメア短縮をせずに、ほぼ無限に再生複製するとも言われています。生殖細胞由来のES細胞やガン細胞も同様です。また、世代交代がなく細胞分裂によって生命を繋なぐ単細胞生物やガン細胞には個々の寿命が存在しないことも判明しています。)現代は、いのちの記憶さえ解明しようとしている人間理性の発展段階にあります。

自然のなかにある生命のすべては、はかない命ですが、そのはかない生命が秘めた過去は全てが繋がっている限りない命です。今のこの瞬間の命は46億年とも言われる地球の生命から導かれて光輝く貴重な奇跡の命です。さらに無限の無の世界の否定から始まった137億年とも言われる宇宙の時間の重みを背負って繋がる今の瞬間に私達の命もあります。はかない命にとっては、今も未来も一時的な無常で、永久なものは何一つ存在しませんが、繋がる過去は不可逆な永久であり、私達が過ごす人生の日々も刻々と永久の自分史となっていきます。その永久の過去を積みかさねて更新できるのは生きる命という生命活動だけです。

そして、今日の社会科学では、人間とは共同社会で繋がって共存している存在と解釈されます。民族や社会にも過去(歴史)・現在・未来があり、共同社会を構成する個々人の現在の生き様は、その社会の未来の歴史に責任があり貢献さえもすると言われます。人間の想像力は無限の力と生きる希望を与えますが、実際、繋がる人類社会の未来は想像さえも超えて、無限に開花する可能性に満ちています。竹取物語の時代とは違い、結婚も人生もある程度主体的に選択できる時代になりました。十分とはいえませんが、今日では女性が身分的にも経済的にも自立できる時代にもなりました。しかし、先進国でさえ女性は、必ずと言っていいほどにハラスメントや暴行や侮辱の経験を身近に持ちます。それが、自分に絶えず起こりうる現実であることも知っています。本来人間は、男のためにでも、親のためでもなく、子供のためでもなく、他人ではなく、自分のために生まれてきたはずです。恋愛や小さな幸福の時間はいつの時代にもありましたが、男のように倫理も気にせず自由に恋することなども決して穢れているわけではなく、人間は自分自身のために自由に主体的に生きるために本来、生まれて来たのだと思います。そして、世間体や誇りや国のためでもなく、ただ死ぬために日々を生きるものでもないはずです。できれば未来の社会進歩に連なった肯定的な生き方をしたいものです。(社会における因果は規範や伝統でしょうか歴史に潜む真実でしょうか?)あらゆる精神活動や創造活動も宗教活動や魂さえも人間の平和的な生命活動から生まれます。死や無や戦争の世界からは本当に肯定的なものは生まれません。

繋がる人間社会では、国や民族も超えて、被害者も闘病者も、障害者も悔しさに生きる者も今を懸命に生きようという命の衝動は、他者を励まし勇気さえ与えます。自己の命のバトンを次の世代に伝え得る人間も伝えない人間も、社会に貢献する人間も、貢献しない人間も、他者への否定行為さえなければ、今の日常を精一杯、人間として寿命を生きることこそが、共同社会への励まし行為です。その意味で個人の生き方は未来の社会にも繋がります。生きることの選択が未来への希望ともなり得る社会に人間は生きています。
生き方にもよりますが、どのような境遇でもどうしようもない現実でも、この世は、生きるに十分値すると私も思います。

 
by zhenhong1 | 2013-09-14 15:43

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