お茶大国
e0321011_20112495.jpg



中国は、世界一のお茶大国です。J


お茶の栽培は、温暖な気温と清らかな水と空気が必要と言われます。
清らかな水と空気のある日本も相当な、お茶大国ですP。(2000代前半までは、紅茶を中心にインドが生産も消費も世界一でしたが、近年中国が世界一になりました。中国茶は緑茶が中心です。)

静岡茶畑
e0321011_20161019.jpg



(お茶に含まれる、カテキンは、インフルエンザウイルスの感染防止にも有効と言われています。P
騒がれている、鳥インフルエンザ予防にもなると思いますが?・・P)



しかし、お茶の一人あたりの消費量では、石油大国のアラブ首長国連邦がトップでモロッコ、アイルランド、モールタニア、トルコ、イギリスの順です(2009年)。

一人あたりの消費上位国は中東諸国やヨーロッパで多くが占められています。お茶好きの日本国民は世界17位で、お茶の生産量と消費量で世界トップの中国も国民一人あたりの消費量では世界25位でしかありません。(2009年)。やはり、お茶は高級品なのでしょうか。
e0321011_2133882.jpg

(なぜか、朝鮮半島では、お茶(カテキン茶類)は、あまり飲まれません。J)



 お茶の発祥地は中国雲南省と言われており、茶葉からの製法の違いにより発酵茶、半発酵茶と不発酵茶の大きく3つに分けられます。
 
 発酵茶としては紅茶が有名です。半発酵茶はウーロン茶やプーアル茶などがあげられます。緑茶は不発酵茶で、日本の玉露、煎茶、抹茶、番茶もこれにあたります。

 また、紅茶の発祥の地でもある中国では、中国紅茶の生産も盛んで、紅茶生産量で見ると中国はインドに次いで世界第2位です。しかし、中国国内の紅茶の消費量は、本当にごくわずかで、中国紅茶の生産量の約90%は海外に輸出されて行きます。インド人と違い、中国人は紅茶より緑茶好きです。

 中国紅茶で、安徽省で生産される「キーモン(祁門)茶」は、世界三大紅茶のひとつにも数えられ、ヨーロッパでは、従来から最高級品として珍重されてきました。祁門茶の中国生産量は湖南省が最大で、以下順に、広東、雲南、江西、安徽、広西、貴州、海南島の生産があげられます。


緑茶と紅茶を含めたお茶全体の評価では、中国は、生産も消費も、その量では、確かに世界一のお茶大国です。P
e0321011_2132137.png




紅茶は茶葉を乾燥させ、揉みこむことによって酸化発酵を行わせたお茶です。
ヨーロッパで最も紅茶を飲むのはイギリス人で、朝昼晩の食事だけでなく、起床時、午前午後の休憩にもお茶を楽しむとも言われます。

 
 ヨーロッパにお茶がもたらされたのは17世紀で、海上貿易で世界に雄飛していたオランダによって、中国から伝えられました。当初は、緑茶で、中国のウーロン茶などの発酵茶がヨーロッパで人気を呼び、製造業者が発酵を進めているうちに、強く発酵した紅茶が普及したといわれています。

 1662年にチャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが、中国茶と砂糖を持参し、イギリス宮廷に喫茶の習慣をもたらしたと言われています。
イギリスは、19世紀に入ってから、植民地のインドやスリランカ(セイロン)でお茶の大量栽培を普及させ安価な紅茶はヨーロパの大衆に広まりました。


 紅茶の文化は18世紀にアイルランドにも伝わり、国民一人当たりの消費量では、アイルランドがイギリスより多くなりました。


 中国では、cháとも茗míngとも呼ばれ、古代中国の伝説では、神農の時代から茶が飲まれてきたと言われます。神農は、5000年前に中国農業を始めたといわれる人で、「神農嘗百草,日遇七十二毒,得茶而解」(「神農は100種類の草を食べ72種の毒にも冒されたが、茶葉で救われた」)と言われています。

 漢の時代に書かれた詩は、茶を表す漢字が使用され、お茶に関する最古の文献は漢代にあります。紀元前2世紀(前漢)の書物から、中国ではお茶が登場しています。

 隋代には、茶を火にかけ煮出す方法や、抹茶、煎茶などの飲み方が考案されたと言われます。
宋代に入って、茶の新しい製法や種類が増え、闘茶(茶の味を飲み分けて勝敗を競う娯楽)も誕生します。

 そして、中国茶は海外に輸出されるようになります。宋代の書物には茉莉倍煎茶の記述もあり、宋代には香料茶と茉莉花茶(ジャスミン茶)も登場したと言われます。

 日本の沖縄県でさんぴん茶として飲まれているものは、ジャスミン茶を指す中国語(香片茶 シャンピェンツァー)から転じたものです。さんぴん茶は、今日の沖縄県において、よく飲まれているお茶です。

 そして、宋代には、日本にもお茶文化が中国から伝来しています。


 遣唐使が往来していた奈良・平安時代、805年、日本から中国に留学した、最澄や空海や永忠らの留学僧侶は日本に帰国する際、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、日本のお茶の始まりとされています。平安初期『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都の永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉ったことが記載されています。

 平安貴族は、唐渡りの絹織物に身を包み、唐渡りの香料を焚き染めて、中国の異国文化に酔いしれてもいたともいわれます。生け花も、始まりは「立て花」という、中国渡りの祭りである七夕の夜に、大きな中国渡りの華麗な花瓶にたくさんの花を生けたところから生まれた文化で、お茶会も、様々なお茶を飲み比べて、その味と香りから、産地を言い当てる「闘茶」という中国(南宋)の風習が起源で、闘茶時には、中国風の建物で中国渡りの書画骨董を並べ、中国服を着て平安貴族は楽しんだと言われます。しかし日常生活にまで普及はしませんでした。飛鳥・奈良時代以後、中国渡りの「唐物」崇拝の傾向はありましたが、日本の平安貴族階級には、中国文化は異国文化でもあったようです。
 
 朝鮮半島から渡来した百済人が多かったと言われる朝鮮平安貴族の平安時代(朝鮮半島の系譜がある桓武天皇が平安京(京都)に都を移してからの三百年)は、お茶に関する書物及び記録は、日本の書物に全く出てこなくなりました。やはり、朝鮮半島では、お茶が普及しなかったことと関係があるのでしょうか、平安時代には、お茶文化はあまり普及しませんでした。

 鎌倉初期1191年に栄西禅師が中国(宋)から帰国する際、日本にお茶を持ち帰えった際に、お茶の効用からお茶の製法などについて詳しく著した『喫茶養生記』(1214年)を書きました。これが、日本初の本格的なお茶の書といわれています。

鎌倉時代の末期には、「闘茶」の風習が、武士階級に浸透し、茶寄合いなども盛んになり、茶歌舞伎などの茶の湯も広まり、日本のお茶文化は、武士階級を中心に広まり始めたと言われます。

そして、15世紀後半から16世紀後半には、村田珠光、武野紹鴎、千利休らによって日本のお茶の礼式がつくられ「侘茶」として大成し、仏教とあわせて武士階級に流行し、その後、日本お茶文化は日本独自の文化として普及して行きました。
e0321011_20352358.jpg

(朝鮮半島では、『三国史記』の「新羅本紀」でもお茶の栽培が記載されていました(828年)。しかし、日本の平安時代と同様にお茶は普及せず、お茶文化が普及したのは、仏教が国の宗教とされた高麗時代で、日本と同様に仏教の影響でした。高麗時代では、朝鮮半島でも、お茶の喫茶文化が盛んになりました。「高麗図經」(宋の使者が1123年に高麗を訪問した報告書)によると、高麗ではお客にお茶を対面で煎ずるのではなく他の所で煎じて茶器に入れてあげ、客は主人がお茶を進められたら飲むのが礼儀であったとされています。高麗時代には茶詩も多く、仏教僧や文人の間にはお茶はプレゼントとされ、茶をもらった人はその返しで茶詩を回答する風俗が流行しました。

 また、李朝初期の朝鮮半島で焼かれた井戸茶碗は、室町時代末期頃から日本に渡っており、高麗茶碗とされて16世紀頃の日本では大変珍重されていました。また、日本で茶道を普及した茶人の利休は朝鮮半島由来で秀吉にそむき自害させられたとする俗説もあり、秀吉の朝鮮出兵が契機で日本に渡った朝鮮半島の陶工らは、日本で茶道の高級茶器を作ったとも言われます。実際、薩摩焼や萩焼、有田焼き等は秀吉の時代に日本に渡った朝鮮陶工職人の伝統芸術です。(また、九州や山口には朝鮮民族の伝統を引き継ぐ村落が多く、薩摩(九州)、長州(山口)が、明治天皇を復権させたことや征韓論に関連するとの俗説さえあります。)

しかし、李氏朝鮮はその後、儒教を国教とし、お茶文化からお酒文化への切り替えが推奨され、仏教排除(抑佛崇儒)した影響もあり、仏教に付随して伝来した喫茶文化も寺院や王室、両班などの一部を除き消滅してしまい、朝鮮半島では、お茶文化は完全衰退しました。李朝中期の学者の丁若鏞は茶から酒への変化に抵抗を感じ、別名を「茶山」と称して、「茶を楽しんでいる民は栄えて、酒を楽しんでいる民は滅びる(飲茶興飲酒亡)」と嘆いたそうです。

現代の韓国茶には、オクスス(コーン)茶(トウモロコシ焙煎)、ユルム茶 (はと麦焙煎)、ポリ(麦)茶 (麦茶)、インサム(人参)茶、オミジャ(五味子)茶( チョウセンゴミシ実を煎じたもの)クッカ(菊花)茶(キクの花を煎じ茶)、テチュ茶( ナツメの実と砂糖、蜂蜜を煮込んだもの)様々なものがありますが、これらは茶とは名ばかりで、これらには、何れも、いわゆる「お茶=カテキン茶)は使用されていません。)砂糖を入れる紅茶は別にして苦い緑茶は現代でも不人気です。




 中国・明代の書物には煎茶の製茶方法の具体的な記述があり、大量に煎茶の散葉緑茶が製造されていたとされます。

 明太祖朱元璋が団餅茶(茶葉を圧縮して固め運搬に便利なように固形化したもの)を廃止する勅令を出して以降、蒸青、炒青の散葉茶(現在の乾燥茶葉のお茶の形態)が普及したと言われます。

 日本で今日まで残る抹茶は明時代に中国では廃れてしまいましたが、明代後期には、黄茶、黒茶、白茶、烏龍茶の発酵茶が出現しています。

 発酵の種類に応じて数百種類のお茶が中国には存在しています。(また、チベット族のバター茶、ウイグル族のミルクティー等、少数民族のお茶も多種多様に中国にはあります。)


e0321011_20455960.jpg
福建省茶畑
 
 中国・清代では、「乾隆帝」皇帝が大のお茶好きと言われ、乾隆帝は、茶器や水についての研究も非常に熱心でした。当時の中国皇帝の中では長寿でお茶効果もあってか、88 歳まで長寿をまっとうしたと言われます。

 茶人の乾隆帝は 「君不可一日無茶」と言ったお茶好きで、水をもとめて中国全国を視察して、江南地方の視察の際に、茶館で大銅壷(大きな茶壷)を持った店員が数十センチ離れた高さからお茶をこぼさずに茶杯に入れて出すパフ ォーマンスに大変感動したと言います。

 そして、これが、太極茶道(太極拳と茶道を組み合わせた、太極拳のような軽やかな身のこなしで、1mもの長い注ぎ口のついた急須で、茶碗にお茶を注ぐ「曲芸」)として1765年頃に始まったとも言われます。

 しかし、近代中国では、お茶文化は贅沢の象徴として文化大革命で糾弾され茶葉の栽培さえ制限された結果、古来からの本格的な中国茶の伝統文化は中国本土では廃れ台湾や香港が主流となりました。最近では従来低中級品の健康茶でしられるプーアル茶(普洱茶)が、中国では高級茶化する現象も起こっています。

また、日本流のお手前のような儀式は中国では従来からはなく、目の前でお茶を煎じて入れる現代の中国茶芸は台湾で大手茶問屋の社員だったが1970年代後半ごろ日本の茶道を参考に創始したと言われています。


 四川料理店に行きました。P(日本でも太極茶道を見せる店は人気です。)

e0321011_20514991.jpg

[PR]
by zhenhong1 | 2013-05-03 20:32

日誌 J(コリアチャイニーズ)の主張 P(ジャパニーズ)の意見
by zhenhong1
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
ブログパーツ
最新の記事
教育大国
at 2014-10-20 00:02
子供大国
at 2014-04-21 00:34
隠蔽大国
at 2014-01-26 19:05
天皇大国
at 2013-11-24 00:19
映画大国
at 2013-09-30 02:31
中秋大国
at 2013-09-14 15:43
失言大国
at 2013-08-02 02:13
漢字大国
at 2013-07-13 23:47
捕鯨大国
at 2013-06-29 18:28
天宮大国
at 2013-06-14 00:11
妄動大国
at 2013-05-20 20:57
国旗大国
at 2013-05-12 16:10
お茶大国
at 2013-05-03 20:32
休暇大国
at 2013-04-29 16:25
カルト大国
at 2013-04-24 03:23
留学大国
at 2013-04-20 10:53
移民大国
at 2013-04-14 17:21
桜大国
at 2013-04-11 01:52
工業大国
at 2013-04-09 02:30
餃子大国
at 2013-04-07 08:11
画像一覧